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済州島「考える庭園」を造ったソン・ボミョン園長
記事入力 2019-01-11 17:05 | 記事修正 2019-01-15 16:28:44
春、木がつぼみを開く瞬間は短い。しかしその瞬間を待っていた木々と真心は長く宿るだろう。世界最高の庭園を造り上げたいという一念で、50年というの時間を捧げてきた人物がいる。「木を愛する田舎の農家」。済州島の「考える庭園」ソン・ボミョン園長(81)は自らをそのように呼ぶ。

1968年からいばらを切り拓き、荒れ地を開墾して石垣を積み始めた。男手の労賃は500ウォンで女手の労賃が400ウォンだった頃だ。 5坪あまりの日干し煉瓦の家を建てて、電気もなく8年間はランプを灯して過ごした。条件は劣悪だったが、そのかわりにここを済州島で最も美しい場所にするという信念があった。露店商をしたりシャツ会社も運営し、集めた金で土地を買って庭園を興した。ソン園長は約4万平方メートル(約1万2000坪)規模に達する盆栽庭園と建築物を、設計図面もなしで単独で構想して造り上げた。庭園は1992年7月にオープンした。

ソン園長は「外国人観光客から韓国にだけ見ることのできる場所を見つけるのは難しいという言葉を聞いたとき、いちばん心苦しかった」とし、「感嘆しながら見て回る場所を作るという考えで木を育てた」と、根気強く生きてきた人生を振り返った。

「時には木を育て石を運んだりしたが、あまりにもしんどいので木をよく見上げ見ました。そのたびに木が自然の摂理にしたがって生きろとささやくんですね…」。ソン園長の精魂50年を込めて造った庭園は済州島の西側、済州・翰京面楮旨里(チョヂリ)1525-3に位置している。

- 木に興味を持つようになったきっかけは?

△ 子供の頃だった。故郷には春が来ると裏山にレンギョウ、ツツジ、桜が満開になった。近所のご老人が100坪ほどの庭で美しい花木を育てていたが、あらゆる美しさと神秘がそこに全てあるようだった。花咲く季節であれば、私は惹かれたようにその庭に走って行ったりした。ところがご老人は子供を庭の近くに近づけさせなかった。しかたなく少し離れたところから牡丹やツツジ、レンギョウなどの美しい花が燃える庭園を盗み見ていた。

- なぜ済州島を?

△ 軍を除隊後、済州に初めて来た日を覚えている。 1963年11月30日。木浦でフェリーに乗って波打つ波に乗りこえて、ここに来た。おんぼろのバスに乗って未舗装の道路に沿って移動しながら、暖かい気候と海、野に咲いている黄色のペチュッコ(白菜花)と蜜柑に魅了された。

- 始めるまでの過程を説明してほしい

△ 済州市から約4時間を走ってようやく来ることができる頃だったが、最も立ち遅れた場所に夢を広げたいと決心した。 1968年に西部の山間に、石といばらで覆われていた今の土地を買い入れ始めた。荒れ地を開墾して石垣を積んだ。石だらけの畑といばらのやぶに苗木を植えるのは本当に容易ではなかった。ここには水道も電気もなく、雨水を受けてご飯を炊いて食べなければならなかったし、まわりの人からは「トゥルウェ」(ちょっとヘンな人という意味の済州方言)という言葉を何度も聞かなければならなかった。

- 作業は容易でなかったでしょう

△ まいにち夜明けから夜遅くまで石をハンマーで形を整えて塀を積んで、石と土を運んだ量を計算してみると今まで15万トンほどになった。工事を進めていたときに10回あまりケガをしたし、数回の手術も受けて現在の「考える庭」に至った。あちこち探し回って済州にない庭木を購入して、これを船に載せて運んできた。植える作業も容易ではなかった。苦労の末に植え替えた木が死んで行く時は、かなりの経済的な損失はもちろん、虚脱感におちいったりもした。

- 気候が暖かい済州では、木はよく育つように思えるが

△ 春に新芽が出てくるときにうまく育ててこそ太くなるが、済州は石も多く風も多くて荒々しい風が吹くと新芽が痛む。あっと言う間に台無しになれば、失望も並大抵ではない。風をさえぎるために竹を立てて枝を一つ一つだ囲んだから、少しの間も休む暇がなかった。激しい風から木を保護するために積み上げた石垣は大きな砦となった。

- 造園技術を学んだことは?

△ 私は高等学校中退者だ。建築や植物について学んだことがない。柑橘類と庭木が育ち始めるやいなや、本を見たり先輩を訪ねては盆栽の技術を習得した。 1日に3~4時間ほどの睡眠で作業を強行した。まいにちトラックとフォーククレーンを動員し、3年間にわたって工事を進めた。

- 苗木はどのように得たのか?

△ 土地から石を掘り出す作業をする一方で、合間に全国をめぐって苗木と大きな庭木を済州と陸地から購入し、あちこちに植えていった。育てた木を再び根を整理し、地面に植えた。一方では温室を建ててソテツや観葉植物を大量に育て、これを販売した資金で盆栽を購入した。また一方ではみかんの木、また一方では庭園樹木を植えた。最初は父と兄の勧めで豚と牛を育てた。しかし私の性格は家畜を育てることは合わがないので、みんな売って木だけに専念した。それらを売った資金で盆栽植物を買い入れて栽培した。

- 庭園は街から離れているのに?

△ 草創期には済州道庁の関係者が訪ねてきて、ここでは観光客が訪れるのは難しいから、済州側に2万~3万坪の代替地を用意するから移そうと言う。私はすぐにはできないと返事した。ここが第2の故郷になったから、それならばここに土地をくれと。もちろん済州市内に出れば営業もよくなり地価も上がるので、早く金持ちになれることを知らなかったわけではない。しかし西部の山間地域に魅力を感じていた。

- 有名人も多く訪れたと言っていた

△ 国内よりも海外でよく知られているようだ。有名人士もかなり訪れた。江沢民前中国国家主席、胡錦濤前中国主席、チュオン・タン・サン前ベトナム国家主席、ポンサルマーギーン・オチルバト初代モンゴル大統領、ジム・ボルジャー前ニュージーランド首相、鳩山由紀夫前日本首相などが訪れた。

- 江沢民前主席が訪問したのが印象的だ

△ 当時、人民日報の総編集長が事前踏査をかねて訪れた後に、韓・中両国の警護局と外交部に所属する約40人の踏査チームがやってきて点検した後に戻った。そして3日後にわが国の外交部で江沢民前主席が訪問することを決めたので、徹底的に準備してもらった。全職員が徹夜作業をしたし、連日それぞれの機関から点検の訪問が続いた。

- 江沢民前主席は訪問した後にどのような感想を話したのだろうか?

△ 1995年に江沢民前主席が150人以上の随行員と記者団を連れて訪問した。幸いなことに暖かい春の日だったし、天気も良かった。彼は謹厳には見えず、まるで隣のおじさんのようにこまやかだった。訪問予定時間は30分だったが、約40分延長されて1時間10分になった。江沢民前主席は揮毫を書いてくれて、庭園を見学して帰った。江沢民前主席が「韓国済州島の農民が政府の支援もなしに開拓して行わたことを一回行って見てみるといい」と語ったことで、国内外の関心が高まって観光客が増えた。

- 胡錦濤前中国主席の訪問にも続いた

△ 胡錦濤前中国主席は江沢民前主席の訪問記念碑の前で「ここは韓・中友好関係の象徴的な場所」だとし、記念植樹をした。 「今後はこの松のように韓・中の友好関係が高く青く発展することを願っている」という言葉も残した。胡錦濤前中国主席がここを訪れて帰った後、中国が韓国を旅行自由化対象国に指定した。

- その後、中国の関係者が多く訪れた?

△ 中国の高位関係者らは文化芸術レベルが非常に高く、盆栽文化をよく理解していた。中国のVIPたちが訪問したことで「考える庭園」は中国に知られ始めた後、各国からここを訪れる客も増えた。

- 困難はなかったか?

△ 1990年代後半、国際通貨基金(IMF)の寒波を避けることができなかった。 1999年6月に「考える庭園」が危機に直面したし、半生を捧げたここも競売に出すことになった。ここで7年のあいだ従業員として働いて再起を狙い、ついに庭園を取り戻した。増えた負債で悩みは多かったが、後に入場者が増えて危機を克服することができた。

- 木を通じて慰安を得た?

△ 失望と挫折に陥ることもあったが、木がすくすくとよく育つた。それぞれ個性があって美しい姿に変貌しつつ、私を慰めてくれた。自然から得られた真理で、多くの悟りを得た。特に時間がたつほど働いたぶんだけ果実は大きくなっていくという確信を得た。自然は確かに正直だ。

- 盆栽の管理はどのように?

△ ここは冬でもあまり寒くはないので盆栽はほとんど外に置いておくが、寒さに弱い木と植え替えた木はビニールハウスに入れる。盆栽も人と同じだ。手術患者を集中治療室で保護するのと同じだ。冬が来て木が休眠期に入っても植え替えをして、温室で保護してやる。

- 盆栽といえば日本が有名だが。

△ 盆栽庭園と言えば世界で日本が最高だと言われているのがくやしい。日本がまずイギリスのブリタニカ百科事典に「ボンサイ(bonsai)」という英語表記を正式名称として上げて公用語となり、日本の盆栽が名前を得た。盆栽は中国で始まった文化であり、その次は韓国につながる。中国は約1600年前、韓国は約800年前に遡るほど歴史が深い。

- 日本庭園と比べると?

△ 1994年5月ジェームズ・レイニー駐韓米国大使が訪問して会ったことがある。彼は「私は間違って日本に来たのではないだろうか。日本にもない盆栽庭園が韓国の済州島にあるなんて驚くべきだ。金泳三大統領にあって、世界的な作品を見に行きなさいと誘うつもり」だと言っていた。

- 庭の設計は直接行うのか?

△ そのとおり。直接する。滝と蓮池の作業は技術的にも経済的にもたいへんな作業だ。管理運営は庭園を育てることよりも難しい。 1次工事期間が1年なのに工期が3年に延長されて資金投資が増え、家族や従業員の苦労も多かった。私は土木工学も造景学(造園学)も学ばなかったので、時間がかかるしかなかったし、拡張工事を継続するしかない状況だった。設計図面もなくて…造景の門外漢である私が直接構想して作業を進めることは容易ではなかった。

- 周辺の反応はどのように変わったか

△ 庭園がすがたを備えるにつれて、徐々に訪れる人が増えた。香りのある花にハチと蝶が訪れることから、この遠いところにも花が咲いてハチと蝶が飛んでき始めた。私を変人扱いしていた村の人々は、私の努力を認め始めた。自分も庭園を作りたくて来たと、質問する人も増えた。

- 名前を「考える庭園」とした理由は?

△ 「創造、芸術、哲学」をテーマに、庭の中に話題と読み物があちこちにかかっている。だから考える庭だ。木を育てながら悟った人生の知恵と人生哲学を、ストーリーテリング形式で書いておいた。フランスのある神父はカトリック教会の聖人である聖ベルナルドの言葉を引用して、「私たちは本よりも森の中で、より多くのことを学ぶことができる」と書き残して行った。

- 中国の教科書にも載りましたね

△ 2015年から中国の教科書に韓国精神文化の象徴的な人物として紹介され、義務教育教材として使われて9年になる。「漢江の奇跡で見た文化の力」というタイトルで、この庭園を韓国人の進取的な自強不息の象徴と表現した。米国ニューヨークで発行される盆栽の専門誌である「International Bonsai」に「考える庭園」の特集が8ページにわたって出たことがある。この雑誌は世界57カ国に読者がいて、「考える庭」が世界の盆栽人に知られる良いきっかけになった。

- 北側の人たちも訪れたことが印象的だ

△ 2000年9月に金正日国防委員長の特使として、済州とソウルを訪問した金容淳朝鮮労働党書記が「考える庭園」を訪問した。彼は訪問録の前で「私はすべて100点だったが、書道だけは良くなかった」とためらって、「美しいところ来たから、書かないわけにはいかない」と文を残した。 「私の国、私の祖国のために才能と努力をすっかり捧げよう!」という内容だった。また、当時の南北初の国防長官会談が済州で開催されたし、それをきっかけに金 鎰喆(キム・イルチョル)北韓人民武力部長の一行が訪問した。

- なぜ庭に執着するのか?

△ 人々が奇妙な場所を訪ねてきて、得ようとすることは何だろうか。私の経験から照らしてみると「感動」だと思う。見聞を広げる観光でも心身をリフレッシュする観光でも、感動がない場合はただ一回的で疲れる旅にすぎないし、再び訪ねる理由もなくなる。済州島は外国人が好む観光地だが、韓国でこそ感じることができる感動を与えることができるところは多くない。長期的な視点から私たち独自のものを探し出して創造するべきなのに、模倣だけに集中していると競争力の弱体化をもたらす。世界の人々が訪れるようとする感動を与える観光施設を作るべきだと思った。私はそれが庭だと思った。

- 今後の目標は?

△ 庭園はまだ半分しか完成していない。継続して新しく変わるだろう。私たちの庭を訪問した人たちがが残した写真、揮毫、絵画、書道作品などを、展示スペースを備えて一般に公開するために準備をしている。

- 庭園の運営はどうするのか

△ 庭園の入場料は1万2000ウォンだ。現在は従業員20人が働いている。ガーデニングはもちろん、観覧客のためのカフェ、レストラン、売店などの設備を一緒に運営している。時間をかけてゆっくりと庭園を探索することができるように、庭園内で食事をできるようにした。午前11時から午後3時まで利用可能で、済州の食材で作られた30種類の料理を用意している。

■ ソン・ボミョン園長は...

ソン・ボミョン園長は1939年1月、当時の京畿道龍仁郡で生まれた。済州が故郷の友人に会いに来て、それがきっかけになって済州での生活を始めた。周囲から気違い言われながら開墾して木を植え始めた。苦難の末、1992年に庭園をオープンした。江沢民・胡錦濤の前中国国家主席、中曽根康弘元首相、金容淳元北韓労働党秘書などが庭園を訪問し、世界的に有名になった。 「木から人生の真理を学ぶ」という彼は、自分を「クレイジー農夫」と紹介する。

[済州=キム・ヂョンボム記者]



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每日經濟新聞日本語版は専門翻訳会社O2CNIで代行しています。原文と翻訳の間に多少の違いがあり得ます。

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